さぁ19話
サフィールの街にワイヴァーンが襲来ってところからですね
にゃん太がいかにも助けに行きそうですけど元凶を止めに行く感じですね
大地人がそこまで恐怖してないのは
90lvを越えた冒険者の集まりであるオデュッセイア騎士団がいるからですね
ワイヴァーンは精々50lv弱なので
まぁどうにかなるだろうという感じ
街に被害は出るかもしれないが逃げる余裕はあるって感じ
セララが何をしているんですかって言ってるけど
彼らは死にたいだけ
結果大地人から見たら死を賭して自分達(大地人)を守る騎士団 に見えてるだけ
まぁ実際被害は減ってるからね
彼らがいなかったら逃げる間もなく襲われていたかもしれないしね
パルスのファルシのルシがコクーンでパージ になるけど
ジーニアスってのは 典災 って書くあれです
カナミ編で出てきたあれのことね
共感子 エンパシオム はよく分からないけど
要は生身の情報のことじゃないかな
冒険者が死ぬと一部記憶が失われる ってのは
その記憶という生身の情報が世界に吸収されて、より本物らしくなる 的な
だからこれだけ死んでくれるとその情報が集まりやすい的なことだと思う
本当は飛行機作ろうしてたんだっけ?
その過程でこの列車が出来たんですが
冒険者なら別に不要ということで大地人のミズファが使ってる感じだったかな
何故高レベルのモンスター達が街道に下りてきているのか っていうのがこれ
あの列車で大地人達を連れて行き
そこでこの機械を使って意識だけをモンスター化するというかね
そしてそれでモンスターを狩る事で経験値を得てレベリングをする
その過程で本来のモンスター達が街道に逃げてるという形
↑の爺さんも大地人 先代ミラルレイクの賢者 だったかな
前にも少し書いたけど
死ぬことで現実の記憶に触れられる
ということでは死んだ先こそ現実に繋がっているんだ
と信じてしまった冒険者 という感じ
これがあるからトウヤはオデュッセイア騎士団の考えに反発するんですよ
ただどちらが正しいって話ではない
どちらも個人の考え 主張でしかない
というのもこう見るとオデュッセイア騎士団が頭おかしいのは確かなんだけど
もし実際にこういう状態になったとしたら って考えると
必死に現実に帰ろうとするってのは何かおかしいか?って話ね
まぁ多分次話かなにかでにゃん太がその辺の問題と戦うと思います
もうちょっと幼くすべきよね 中学生に見えないこれじゃ
この笑顔ね
この笑顔がダリエラの笑顔と一緒だから
トウヤはそんな笑顔は嫌いだって言ったんですよ
周りに合わせてただ笑っているだけ というかね
かつての自分と同じ目をしているからなんですね
この辺どうしてもアニメだと全員描写しなきゃいけなくてあれなんだけど
全部同時進行してるからね
予算の都合なんだろうけどここはオリジナルじゃないとなぁ
五十鈴には五十鈴の決意があって歌ってるんですよあれ
そしてこの章のタイトルね
Route 43
五十鈴が決意して43番目の曲へと至った訳ですね
まだ多くは分かってないんですが多分位置的には典災ことジーニアスに近い存在
だからシロエのサブキャラなんですけどシロエとはほとんど関係ないです
にゃん太とロンダークが戦いながら
一度は解決したように見えるこの大災害後の冒険者についてのあり方や考え方が問題点
要は今までの話で出てきた人達ってのは
なんだかんだ言いながらこの大災害後の世界を受け入れてる人達なんですよ
受け入れたからこそ どう変わるべきなのか っていうこと考えてきた人達
今回問題になるのは
受け入れられない人達
オデュッセイア騎士団が分かりやすい例
このエルダーテイルという世界は受け入れられず
どうにかして現実に帰りたい
死ぬと現実に触れられる→帰れるまで死のう
とオデュッセイア騎士団はやりすぎな感はありますけど
受け入れられない冒険者はどうするのか っていうお話かな
死という終着点が存在しないから
オデュッセイア騎士団のように死んでもいい
と思う者達が無茶苦茶やりだしたら止めようが無いんですよ
拘束したところで自殺したらまた大神殿で復活する訳で
シロエが最初にやったようにそのエリアに入れないようにしても
別のところで暴れればいいだけ
それこそ大地人では対抗出来ない強さを持つ冒険者ですしね
というその辺りの問題
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